2017年2月25日土曜日

ACL(全十字靭帯)断裂のお話 その3

手術は、7月中旬の希望を医者に話しましたが、医者の夏休みが決まらないと言う理由で、なかなか確定しませんでした。
名医Dr.Pijnenburg言うには、奥さんと旅行の話をしてからじゃないと、予定がたたないんだよねえ、と。こっちは手術という人生で初めての大イベントだというのに、至ってマイペースな調子なんです。人生は楽しむことが一番と欧州人はよく言いますが、こんな場面でもそれを痛感してしまいました。

で、手術予定日の1週間前に病院に電話をして、手術日を確認してねと言われ、7月上旬に電話をすると、「はい、予定どおり7月20日で手術しますので、今の所は。でも急患が入った場合は、予定は変わりますのでね。」と、まだ完全には決まらない返事をされ、はいはい、わかりましたよ。もういつでもいいから、とにかくやってよね、と心でつぶやく。

そしてやってきました7月20日。手術は午後13時頃なので、9時に病院に来てとのこと。手術日の朝はご飯は何も食べちゃダメ、肌にクリームを塗っちゃダメ等、細かい決まり事をオランダ語で書いたメモをもらっていました。オランダ語なので、どこまで理解出来たのか不安でしたが、とりあえず、無事に病棟に入り看護師さんに案内をされ、ベッドに寝転がりました。体温、血圧等を計り、体調に異常が無いことを確認すると、11時くらいには手術室に移動することに。手術室の側の待合室の様な場所で、ベッドに横たわっていると、Dr. Pijnenbrukとその他の医師が次々とやってきて、名前、生年月日を何度も聞いてきます。そして手術する方の足はどちらか聞かれ、膝にペンで印をつけました。万一、間違えて正常な足の方を切られたら、たまりませんからね。

そしていよいよ手術室へベッドごと移動。ゴロゴロ転がり、ちょっと冷たい部屋の中に。上からはテレビでよく見る照明器具、横には手術台。医薬品の匂いが鼻をつーーんと刺激して、日常とは別世界にやって来たことを実感。麻酔は前身麻酔をお願いしていました。膝の手術はトンカチで叩いたりするって聞いたので、意識があったら恐ろしい。目が覚めたら終わっている方が気楽。口にマスクを当てられ、深く息をしなさいと言われ、すーーはーーすーーはーー。
先生が気分はどう?日本に戻ったら行きたい所はあるか?なんて会話をした記憶がありますが、それ以上は覚えておらず、恐らくマスクをつけて30秒ぐらいで、完全に記憶がなくなりました。

その後、目覚めたのは、手術室の待合室。最初に手術室に入る前に待機した場所。でも目覚めたと言うより、遠くから声が聞こえるだけで、あまりよく分からない。オランダ語や英語で色々話して来るから、夢心地な気分で、こちらも返答するが、答えになっていたのかどうか怪しいもんで。

そして、完全に目が覚めたのは、最初に案内された病室の中。
看護婦に声をかけられ、手術が終わったことを確信。自分の右足を見ると、包帯でグルグル巻きになった足。完全に動かすことができず、中も見れないので一体どうなっているのかわからないけど、とりあえず、痛みはなさそう。足は一晩中動かすことができないし、立ち上がることも出来ないので、その晩はただただ寝るだけ。生まれて初めて溲瓶をつかっておしっこをしました。動けないのって、不便です。

人生最大のイベント、手術の1日はこうして終わりました。
そして、翌日からはリハビリの日々が始まるのですが、なんとなんと、驚くことに、退院は翌日なんです。日本では、ACLの手術後は2週間程入院しているケースが多いのに。
オランダは医療費が高騰していることが社会問題となっていて、無用な入院は好まれません。なんつったって、出産も自宅でやってしまう人が多いぐらいで。だから、足の怪我なんて、手術さえ終われば、後は家で安静にしておけばいいでしょ、ってことなんですかね。

手術前

手術後

夕食はパンとハム。。。寂しい


リハビリ初日のお話は、また次回につづく。





2017年2月16日木曜日

ACL(全十字靭帯)断裂のお話 その2


MRIの撮影から1週間。
担当の外科医の診察の日、きっと靭帯が切れているんだろうなあ、と諦めの気持ちと、いや、かろうじて繋がっていて手術はしなくてもいいんじゃないかなあ、と期待の気持ちの半々で病院に向かいました。とは言っても、怪我をしてから2週間が経過して、松葉杖無しでかろうじて歩けるレベル。少し足が動かせるようになったとは言え、まだまだ曲げ伸ばしはぎこちなく、普通の人が歩く速度にはなかなか追いつけず、軽い怪我だったら、もう少し回復が早くていいんじゃないかと思えました。

ドキドキの気持ちで、病院の受付窓口で手続きを済ませ、診察室に入ると、担当の外科医(名前はDr.Pijnenbruk、日本の有名なスポーツ選手を診たこともある優秀な先生、だそうです。)に撮影写真を見せてもらいました。
素人の私が見ても、さっぱりわからない筋がいっぱいの写真でしたが、
「はい、ACLが切れてます。」と、キッパリ。
え!じゃあ、、、、
「手術、いつにする?」
まじでーー。やっぱり。。。

前十字靭帯が断裂してしまった場合、そのまま放置しておいても元には戻らないんですね。スポーツに復帰することなく、日以上生活をするだけであれば、保存療法の選択もありますが、その状態で運動を続けると、膝崩れが起きて、膝の皿が負傷してしまい、将来慢性的な膝の痛みに悩まされると聞いていたので、もう、私には手術しか道はないのだと、病院に来る前から覚悟はできていました。

なので、手術と言われても、腹をくくってやるしかない、と前向きな気持ちでいましたが、膝の腫れが取れて、曲げ伸ばしが完全に出来るようになるまで手術は出来ないといわれました。そうなるのはあと2週間ぐらいだそうで。

そして、手術を始める前には、膝の筋肉をしっかりつけておくように言われました。怪我をしてから動かなくなった膝は、たった2週間という時間で、あっという間に細ってしまったのです。そのためには自己流ではなく、きちんと理学療法士に診てもらうのがよいそうで、先生から一枚の名刺を渡され、そこには「Karel Muns」と名前がありました。
周りのフットサル仲間には腕の良い理学療法士に診てもらうのが良いとアドバイスをもらっていましたが、右も左も分からない私に選択の余地はなく、すぐさまTELをして、2日後のアポを取ることに成功。

訪れたKarel Muns、現れた担当者は若い青年。金髪で青い目をした典型的なオランダ人。名前はニルス。足のケガの状態を確認してから、曲げ伸ばしの運動をしました。スクワットをしたり、ゴムボールの上でバランスを取りながらキャッチボールをしたり。もちろん日本語は通じないので、会話は英語で。運動に関する英語はあまり知らないので、なかなか思っていることをうまく話ができず、時々曖昧な理解で進めてしまうけど、段々話していることも分かるようになってきました。
 
ニルスのトレーニングは週に1回のペースで続き、その一方、手術の日を決める時がやってきました。怪我をしたこのときは、家族ままだオランダに来ていなかったので一人暮らしでした。手術には、自宅から病院の往復を自分で手配しないといけないことを考えると、術後動かなくなった足でどうやって家に帰るのか、そして家に帰ってから毎日の生活をどうするのか。右足が動かないので、車も運転できないし。。

色々考えた結果、家族がやってきてから手術をした方がいいと考えて、手術は720日に決まりました。人生初めての外科手術、映画の世界が現実に。しかし、手術という重い言葉とは裏腹に、オランダ医療は意外にもあっさりとした対応でして、、、

腫れた右足

                                                                              その3につづく。

2017年2月11日土曜日

ACL(全十字靭帯)断裂のお話 その1

暫くお休みしていましたが、サル者を再開します。
昨年5月、サッカー練習をしているときに、右膝の前十字靭帯を断裂する怪我をしてしまい、暫くの間、フットサルからは遠ざかっていたもので。
あのとき起きたことを思い出しながら、何が起きたのか、自己レポートしてみようと思います。

それは人工芝のコートでミニゲームをしていた最中でした。
普段通りの何気ないジャンプをしただけなんですが、少し前に痛めていた膝だったので、弱くなっていたのでしょうね。着地した瞬間に、ポンポンっと2本何かが千切れたような音がして、激痛が走りました。直後、大きな痛みが襲い、一人では歩けなくなるほどで、大声を上げて周りの人の助けを呼びました。肩を担がれ、コートの脇に運んでもらい、動かなくなった足に氷で冷やしました。

その日は土曜日で、翌日の日曜日には少しよくなることを期待していたのですが、期待は裏切られ、足は少し腫れてきました。外傷した時の応急処置の基本はRICE=Rest, Icing, Compression, Elevation。
安静にして、冷やして、軽く圧迫して、患部を高い位置を保持するということ。
以前に友人が怪我をしたときに聞いた話を覚えていたので、それを実行しました。
結局、その日曜日は1日中、氷を膝に巻き、ソファーに横たわり、足を肘掛けの上に乗せたままで過ごすことに。

RICE処置のおかげか、月曜日の朝はそれほど大きな腫れはなく、ひょっとして大した怪我ではないのかもと期待を抱かせる程に留まっていました。しかし、歩くのは困難で、怪我した右足は殆ど動かすことができず、とても会社には行ける状態ではなかったです。少なくとも、松葉杖が無いと、生活が出来ない状態であることは間違いなく、すぐさま病院に行くことを決めました。

しかし、オランダに来て僅か1か月半でしたので、まずはどこの病院に行けばよいのか分からず困ってしまいました。オランダでは、日本と違って、具合が悪いからと言って、どこでも近所の病院に行ってよい訳ではなく、まずは自分のホームドクターに診断してもらい、その診断結果により必要であれば専門医に診てもらう仕組みなんです。私はホームドクターすらまだ会っていない段階でしたので、こんな足を引きずってあちこち回るのは不可能。がーーん😞
焦りながらネットで探していると、家の近くに緊急患者も受け入れているAmsteland Hospitalがあり、しかもジャパンデスクという日本語サポートをしてくれるサービスがあり、これは藁にもすがる気持ちで、電話をかけてみると、その日の午前中に診断してくれるそうで、ラッキー!!

全く動かない足では、車も運転出来ず、電車にも乗れず。オランダ生活で初めて電話をしてタクシーを呼ぶことに。電話すること10分で、すぐに到着して、無事に病院に到着。タクシーから降りて、目の前にある受付入口まで、通常なら歩いて10秒の距離を、片足引きずりながら、カタツムリかカメぐらいの速度で前進。受付のおばちゃんが見るに見かねて、車いすを持って来てくれた。あんがとーー(涙)。

初診はレントゲンを撮り骨の異常がないかをチェックしましたが、膝の周りに骨の欠片らしきものがあり、これが原因か?と言われました。それだけ!?そんなちっぽけな骨が原因で、本当にこんなに症状になるか??第一、あのポンポンっと鳴ったあの音は骨の音じゃないと思うんだけどなあ。。。と不安なままに自宅に帰りました。一応、松葉杖と車いすをもらったので、とりあえず、これからは自力で動ける。それだけでも、病院に来た甲斐があったってもんで。ありがたやーー。

それから1週間後、再診をすると、今度は整形外科の専門医に診てもらえて、膝回りを動かしてチェックすると、ACLが切れているかもしれないとのこと。
ACL??Asia Champions Leagueなら知っているけど何のこと!?
自宅に戻り、ググってみると、ACL=Anterior Cruciate Ligament(前十字靭帯)と。
なになに、これが切れると選手生命に支障をきたす程の重傷だと!
オーマイガー!
俺のフットサル人生もこれまでか!やめてーーー。

切れているかどうかを診断するためには、MRIを撮らないと分からないそうで、じゃあ、すぐに撮りましょう、と意気込むと、MRIの予約は予約担当の受付に聞いてね、と素っ気ない返事で診察医の診断終了。

別の部屋にある予約担当にお願いすると返って来た返事は、「オッケー、3週間後ね」
えーーーー
靭帯切れてるかもしれないのに、3週間ほったらかしにすんの!?
ありえねーー。
もっと早くやってよー、とネゴるが、全く相手にされず。とほほ。
もし空きがでたら電話するから、待ってなさいと言われその日は退散。
なんとも、おおらかと言うか、のんびりと言うか、オランダ時間の医療対応に泣かされ、不安な毎日が続く。

その翌日、携帯電話がなり、なになに、今日の17時からMRI撮れるけど、来るかって?
そりゃ行くに決まってんじゃーーん。
3回目の病院、そろそろ院内の位置も把握できて、MRI撮影室にも迷わず直行。
撮影は5分程度で終了。結果はまた1週間後ねー、と。

そして、ドキドキの診断結果は。。。     

                     その2へつづく


※オランダで急患の場合は、アムステランド病院に行きましょう。
 時間が合えば、日本語サポートを受けられます。
https://www.ziekenhuisamstelland.nl/jp/japan-desk/